「こいびと…………?」

言っている意味がよく分からない。


「ぼ、僕たち………男同士、です、よね…………?」

例え記憶が無くとも、男同士で恋人というのは普通でないと分かる。
自分のこともまだ何も分からないのに突然突飛なことを言われ古市は余計混乱する。
男同士だなんて気持ち悪いとしか思えない。
この男が恋慕の感情を自分に向けていると知り、嫌悪感で突き飛ばしたい気持ちになったが、体は思うように動いてくれない。

回された腕は力強く、それでいて優しい。触れた部位から彼の感情が伝染してくるようで振り払えなかった。
目付きは悪く明らかに世間でいう不良にしか見えない男だが、彼を忘れている自分を見たときの表情が凶悪なものではなく、切なさを含んでいた。
きっと今も同じ顔をしている。本気で好きだったんだと思わされてしまう。


「すまん………気持ち悪ぃ、よな……いきなり。知らねぇ奴にこんなん言われて」
「……………」

何と答えればこの人を傷付けずに済むのか…………僕はこの人を傷付けたくない、と………思う。
だけど『知らない』から出来ない。記憶を無くしていなかったならば分かったのかもしれないけど、今の僕には……………

古市は無言で抱き返した。なんとなくそうしなければいけないような気がして。
広い男の背中は暖かくてただただ強く抱き返した。

何も分からないし全く知らない人なのに……………


この人は誰なんだろう。どんな人なんだろう。
見知らぬこの人に愛されていた自分はどんな人物だったんだろう。
この人を愛した自分はどんな人物だったんだろう。


何も分からなくて、分からないことを考えても、頭が痛くなるだけで解決しない。


「……古市?」


口を開かずただ男鹿を抱き返すだけで動かなくなった古市がアクションを起こすのが待てなかった。
心拍数が上昇していく自分とは違い、落ち着いているような彼に焦りを感じる。
記憶を無くしていても男鹿が触れることで何かしら思うのではないかと、多少は心拍数が上がったりするのではないかと思っていた。
だがそれは思い違いだった。古市は驚いてはいるようだが触れ合った体温は気持ちいいほどに冷えている。
古市は男鹿の肩越しに言った。


「僕は貴方を知らない」

「……………っ」

記憶を無くしているのだから当たり前のことなのに何故か身体中に鈍い痛みが走る。
その鈍さはじわじわと体内を深く侵食していき、痛くてたまらない。
涙腺がほどかれていくのを耐えるがすでに目に透明な膜が張られていて泣きそうだ。


「だから…………、恋人と言われても分かりません………」
「…そ、だよな…………」

声が震える。そっと古市から離れると古市は抱き締める前と変わらない哀しげな瞳に自分を映していた。
その眼にまた無性に泣きたくなる。

「……今日は疲れました。少し、寝ます………」
「…………俺、帰るわ」

古市の発言が自分を拒否しているみたいに聞こえていきなりに抱きしめ、『恋人』だと言ったことを後悔した。
根は優しい奴だから気を使って拒否することもせず黙って抱き返してくれたが、内心では気持ち悪かったのかもしれない。
古市の記憶が無くなったと知って冷静に考えれず焦りすぎた。古市が落ち着くまで俺は来ないほうがいい。

『恋人』と偽ったとしてもそれで繋ぎ止められる保障など何処にもないのに、どうして偽りの称号なんかにすがろうとしてしまったのか。

ドアに手を伸ばすと背後から声をかけられ手を止めた。


「あの………、また……」
「?」
「また、来てくれませんか……?僕のこと、教えてください」
「来ていいって……マジか」
「……………」

小さく頷く仕草にさっきとは真逆に男鹿の表情は柔らかくなる。

「明日また来る」
「はい」


ドアを閉め病院の廊下を歩きながら思う。古市と会話できたことで、久し振りに外の空気を吸えた気がする。
病室を出る前に古市が見せた笑みはいつもの古市がたまに見せてくれた顔と似ていて、思い出すだけでも胸が熱くなる。
体中が火照りだして止まらない。ジクジクと心臓が痛い。
最近は大分治まっていたのに、あの惚れたばかりの頃、古市のことばかりで頭がいっぱいで毎日心臓が痛くて堪らなかった時を思い出す。

自分のすぐ側に居てほしい。
記憶がなくなっても自分の事を忘れてしまっていても愛しくて仕方ない――――――








「…………明日、か…」

男鹿がいなくなったドアを見つめる。
帰る、と言った彼がもしかしたら二度と来ないつもりなのではと、そんな気がして咄嗟に言っていた。
記憶もないのにあんなことを言ってしまって本当に良かったのか分からない。
ただ、記憶を戻すためにはあの人と居ることが一番な気がしたから。
母も親しそうにしていたということはそれほど僕と男鹿さんの仲は良かったはずだから。

勿論恋人というのは信じられないが、それを差し引いたとして友人としても相当仲良かったのかもしれない。
そして彼は僕を恋愛対象として好き。男同士なんておかしい。
だけど触れられた部分にはまだ彼の感触と体温が残っているが………嫌悪の感情は生まれない。


「……………」

不思議だ。記憶はないはずなのにどうしてこんなに落ち着けているのかが。
もっと放心してもいいのに…………多分この人の元々の性質がそうなのだと思う。
でも、もう疲れた。眠りたい。そして眼が醒めたら記憶が戻っているとよいのに。

古市は枕に顔を埋めると意識が遠くなるのを感じた。




―――――…………あれ?…………―――――


――――――………あそこにいるのは、誰?…………――――


黒と白のコントラストが美しくて釘付けになる。
並んだ二つの影が暖かくて、優しい気持ちが湧き出てくるような………そんな気になる。



『男鹿!俺を巻き込むなっつったろ!?』

『まーまー、お前だけは護ってやるし。いーじゃねぇか』


――――…………誰?よく、見えない……―――――


プラチナのように眩しい白銀は漆黒とよく映えていて綺麗だ。
『綺麗』そう思えるのに、何処か不安定で今にも消えてしまいそうな………
黒と並ぶことによってくすんでしまう程に儚い白。だけど力強い白。


『なぁ、男鹿――――――』


柔らかく微笑む白は眩しくて見えなかった。


―――――君は、誰?………―――




瞼が持ち上げると、真っ白な天井が視界を埋めていた。
「……………誰、だったの、かな……」

黒と白。相対的だけどどこか似ている。
あの人は最後、なんと言ったのか…………、よく覚えていないけれどとても優しい言葉だった気がする。
毛布に顔を埋めて もう一度眼を瞑るが眠りに落ちることはない。病室の時計を見ると4時30分。もうそろそろ母親が来る頃だ。
母が来たら教えてもらおう。僕のこと………男鹿さんのこと。

そして一体僕の身に何があったのか。


「あら、男鹿君帰っちゃったの?」
ドアから声がする。眼を向けると母だった。

「かあ、さん…………」
「ジュースとかお菓子買ってきたから食べなさい」
「ありがとうございます」

笑いかけられ古市もにこっと笑顔で返すとお店の袋を渡してくれた。
喉が渇いていたため、飲料水を一本取りだし口に含むと冷えた水分が口内に広がって潤していく。
母は椅子に座り、古市が飲む姿を眺めて安心した顔で古市が蓋をするまで待つ。そして息子に語りかけるようにゆっくりと話し始めた。

「男鹿君はね………、小学校の頃からずっと貴之と一緒にいるの。そうね、『親友』っていうのかしら」
「親友………」
「そう。男鹿君はよくケンカするんだけど、あんたが巻き込まれた時は必ず護ってくれてた」

ケンカをする…………男鹿さんは見た目通り不良らしい。
ケンカなんて痛いだけなのに何が楽しいのだ。


「男鹿君はあんたのこと相当大切にしてたわ。友愛を超越するくらいにはね」
「……………」

端から見ていても…………親から見てもそう言えるのだから、男鹿は他の人が思っている以上に『古市貴之』が好きだったはずだ。
だが今の古市には『人を好きになった』という記憶も消失されているために、それがどういうものだったか思い出せない。

短絡的な漠然とした感情は存在するのに、様々な感情が入り乱れてそこに初めて生まれる『愛』が分からない。
友人としての『好き』なら分かるのに、誰か一人を想う『好き』は分からない。

気がつくと古市の眉間には溝が出きており、険しい表情になる。


「………大丈夫?すごい顔してるけど」
「あ…………大丈夫です」
「体調悪くなったらすぐ言いなさい」
「はい、でも大丈夫です。少し考え事をしていただけですから」
それを聞いて母親の顔は柔らかくなる。

「………あの、一つ聞いてもいいですか」
「え、えぇ」

僕は男鹿さんに守られていたらしい。
記憶がないといっても男としては微妙な気持ちだが、僕は彼に守られるだけだったのか。
それに見合うものをかえせていたのか。

彼のことは知らないけれど、『親友』、仮に『恋人』だったとしても知りたい。



「僕も男鹿さんを大切に出来ていましたか………?」

母親は一瞬眼を見張った後、嬉しそうな笑みを浮かべた。


「そんなの、当たり前でしょ?」
「………そうですか」

安心したような表情をし、拳を握る。そして思った。
自分は彼の側にいなければならない気がする、と。


「母さん、僕…………明日から学校に行きたいです」
「何言っ」
「早く思い出したいんです、だから…………」

何も分からないのに直感がそう言っている。そこに行けば僕は何か知ることが出来る。
母親は記憶を無くしているとは思えない古市の意思ある瞳に諦めて息を吐く。

「…………お医者さんに聞かなきゃ分からないけど、なるべく早めにってお願いしとくわ」
「ありがとうございます」

母親はまた後で戻って来る、と病室から出ていってしまった。
また一人残された古市は枕に頭を授け、天井の交差する溝を見つめながら男鹿を思い浮かべた。

僕のことも知らないのにどうして僕は彼のことばかり知りたがっている?
もちろん僕は自身のことだって知りたい。だけどそれ以上に『恋人』だと言った彼が気になる。
誰だって………自分と『恋人』だと言われれば気になるはずだと思う。

だけどそれだけではないような…………そんな気がした。




母が病院側に掛け合ってくれたところ、怪我も治っているし記憶喪失の治療は自宅でとなり、明日検査を受けてから午後退院となったらしい。
学校には明後日から登校することに決められた。
夜になると母は家で色々と準備をしなければいけないから、と先程帰った。
病室の窓からふと空を見上げると星が数個光っている。

「……………綺麗なのに、少ない」

都会だからか星があまり見えない。
月はどこから見ても爛々と輝くのに星は儚げに、今にも消えそうな光を発し、空に散らばっている。

「…僕と少し似てる?」

僕の記憶もあんな風に散らばってしまったのかもしれない………そして消えかけている。
早く捕まえないとなくなってしまう。

「…………記憶喪失……か」

結局聞きそびれた。僕がこうなった理由と、僕自身のこと。
分かったのは僕と男鹿さんが親い存在だったことだけだ。


早く

早く


急かす足音が脳内に響く。



それが何を意味していたのか、このときの古市はまだ知らなかった。

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特に何も深いことは考えてないのでけっこう文があれですが気にしたら負けです。
そして古市の順応能力高すぎるよねっていう話。何もつっこまないで。
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